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支援事例

事例1

シントミフーズ株式会社

徹底した業務改善で、
安心して引き継げる会社に

代表取締役 斉藤 貢

シントミフーズ株式会社の創業は昭和60年6月。現社長の斉藤 貢が、一人でお弁当を調理して車に積み配達していた個人事業が原点だ。そこから少しずつ事業を拡大し、現在は、多摩地区ではトップクラスの大規模な給食工場・設備を有し、300人以上の従業員が在籍する企業に成長した。

事業の内容を詳しく教えてください

一般企業に昼食・夕食のお弁当をお届けする事業所弁当給食事業を中心に、幼稚園給食や学校給食、調理業務委託、製パン、ケータリングなどを手がけています。
もともとは私が一人でお弁当を調理して、車に積んで配達していました。そこから少しずつ事業を拡大し、幼稚園や学校の給食事業も展開するようになったのです。現在、従業員は300名以上に増えました。

公社に、事業承継に関する相談をする前の経営状況を教えてください

当時は薄利多売でお客様をどんどん増やしていくのが会社の成長につながると考えていました。実際に売上は伸びていたのですが、利益率の低さが課題でした。
創業当初はお弁当の売価を毎年上げていましたが、バブル崩壊後は値上げが難しく、競合も増えてきました。もちろん、売価は上げられません。でも、人件費や材料費は年々上昇していくのです。そのような状況でしたから、利益は縮小していき、決算は赤字ギリギリが続きました。頑張ってくれている社員に昇給もできず、借入金の返済もやっとの状態でした。

バブル崩壊後は値上げが難しく、競合も増え、利益は縮小して厳しい経営状況が続いていたという。そんななか、公社に相談したのが、将来的な事業承継に向けた経営改善だ。1年にわたり、公社担当者とのミーティングを繰り返し、会社の業務フローや帳簿などをチェック、課題の抽出と解決、収益力向上に取り組んだ。以降、経営状況は好転、現在は社内承継を視野に入れ、後継者を育成しているという。

公社に相談した経緯を教えてください

そんなときに、お取引のあった金融機関から公社をご紹介いただいたのが相談のきっかけです。当時私は70歳で、健康に問題もなく、まだ事業承継については具体的に考えていませんでした。しかし、いずれ会社を引き継ぐとしても今の経営状態では難しいと考え、将来的な事業承継に向けた経営改善のサポートをお願いしたのです。
公社の担当者が数回来社して、会社の業務フローや帳簿などをチェックします。毎回課題をいただき、

それをクリアしていくというサイクルを1年間繰り返しました。そして、部門別の損益計算書を分析したところ、主事業である事業所弁当給食事業が一番の不採算事業と判明したのです。今の売価では利益が出せないとアドバイスされ、思い切って20円値上げしました。当然ながらお客様からの反応は芳しくありませんでしたが、ご納得いただけない場合はお取引を断ることもありました。その結果、販売数は1000食ほど減りましたが、利益率は改善し、赤字もほとんどなくなりました。
また、食材のロス率も課題として浮上しました。弁当の発注数は当日の朝まで分からないため、それまでは多めに作って余らせていたのです。その結果、食材ロスを含む原価率は56%まで上昇していました。そこで、最初は少なめに作っておき、足りなくなったら近所に配達する分を追加で作るフローに変更。するとロスがなくなり、原価率は46%まで下がりました。
他にも弁当の配送ルートやサービス品の見直し、製造ラインの効率化など、本当に細かいところまでアドバイスをもらいました。社内でも、部門ごとに業務改善のプロジェクトチームをつくり、月2回の社員会議を開くなど、お互いに意見を出し合える体制を整備。全社を挙げて改革に乗り出しました。

公社の支援を受けて、会社はどのように変化しましたか?

公社からは、1年間で業績が改善できない場合は支援の延長もあり得ると聞いていました。そして、1年経った或る日。公社から数名の方が来社し、社員たちの前で「シントミフーズは自分たちで成長できる会社になりました」と言ってくれたのです。もう自分たちだけで会社を良くしていけるとお墨付きをもらい、あの時は感無量でした。
最後に経営分析のツールや今後の課題、続けるべき取り組みなどを共有していただき、その後は社内で経営改善を継続。一番の不採算部門だった事業所弁当給食部門の赤字がなくなったことから、翌年は全体で黒字になりました。さらに年々利益が上がり、今では昇給や賞与の支給も可能になっています。また、製造機械も入れ替え、配達用の車も新調しました。
ところで、一番変わったのは社員の意識かもしれません。経営改善による昇給・賞与で「会社が変わると自分たちにも還元される」ということが実感できたのだと思います。社員会議でも以前は私の話を聞くばかりでしたが、今では活発に意見を交わすようになりました。この先、私が引退しても社員たちに改革の意識が残るなら、それが一番ありがたいことです。
公社からはその後も、お客様の紹介やLED照明導入の補助金など、色々とお世話になっています。半年に1度、担当者から「順調ですか?」と連絡が来るのですが、そのたび「順調です」と自信を持って言えるのが喜びです。

東京都立川市の本社給食調理工場。安全・安心の安全なお弁当をつくるため、衛星管理に万全を尽くした調理工場内。その清潔さには驚く。例え、社長や取材班でも、決められたユニフォームに着替えた後、クリーンルームで手洗い、ジェットタオルで乾燥後、エアーシャワーに10秒入り、厨房ドアを開けた所の靴洗い槽にて靴底を殺菌しなければ厨房に入室することはできない。

今後の展望をお聞かせください

公社から紹介いただいた大きな案件が来年で終わる予定です。その後のために営業力を強化したいと考えております。採算性を改善した事業所弁当給食事業のお客様を増やし、来年以降の軸にしたいと考えています。
後継者については色々と考えました。当初は子どもたちのいずれかにとも思ったのですが、今はそれぞれ別の道を歩んでいます。社外後継者や事業譲渡も検討しましたが、工場や設備だけでなく、事業やお客様も大事にしてくれる方は多くありません。現在は社内承継を視野に入れ、後継者を育成しています。今後も「事業承継塾」や「後継者交流会」などで、公社にはお世話になるかもしれません。
事業承継で一番大切にしたいのは、社員が安心して働けること。若い社員が多いので、この先20年、30年と、会社を続けていけるようにしたい。「食」がある限りこの業界は続くと思いますが、どんな業界も時代に合わせた変化が必要不可欠です。その流れに乗り遅れないよう、柔軟に対応できる人に会社を任せたいですね。

information
事業内容 事業所弁当給食事業/学校給食事業(弁当給食・米飯委託・調理業務委託)/幼稚園給食事業/製パン業/ケータリング
創業 1985年6月
資本金 1,000万円
住所 東京都立川市一番町4-36-7